[歌曲檔案]
曲名 :もしも僕が死んだら
上傳日期 :Jul. 14, 2008
作品類別 :原創曲
作曲者 :kotaro
作詞者 :kotaro
繪圖者 :てむ
Vocal 歌手 :KAITO
歌詞大意 :即使我死了這世界也不會有太大的不同,大家還是繼續作自己的事情,一切都如將會如同往常一般。不過愛你的那份心意是怎樣也不會改變的。
[digitdream小感想]
曲風
節奏平穩、曲調輕快,旋律中並沒有特別起伏的部份。最後結尾的方式相當特別,KAITO的歌聲越來越小,最後消失無蹤,連旋律也跟著消失了,似乎和歌名〈もしも僕が死んだら〉相呼應,最後生命真的走到終點了。
整首歌曲中,KAITO的歌聲音量偏低。本來筆者也認為這是一個需要改進的地方,後來看過歌詞後,覺得這樣的音量其實也算符合歌詞的意境,並不需要太多的修改。不過歌聲音量小也表示聽者可能會聽不太清楚歌曲,適當地調整歌聲音量或許還是有必要的。
歌詞
歌詞整體偏向灰暗。間奏前兩段描述即使自己死了世界還是會持續運轉,不會有新聞來報導、大家還是一樣擠電車趕著去上班;不管是誰,生命總有結束的一天、時間還是一樣持續前進……等,表達出自己的渺小、無助與那份對人生無奈的感覺。
歌詞的最後一段感覺較為光明,不過雖然有這樣的歌詞:「いつか僕が死んでも君を愛した、この思いは永遠さ(不管什麼時候死了我都愛著你,這份思念直到永遠)」,卻也有這樣的歌詞:「はかなき生命の輝きを得るため、何かを追い続ける(為了讓短暫的生命發光,一直在追尋著什麼東西…)」,依然縈繞著苦悶的感覺與對現實的感嘆。
作者在影片說明上寫下了這首歌曲的意涵:
僕がこの世からいなくなっても何の影響もないかもしれないし、永遠に続く愛なんてものもない。それでも僕が君を愛したという事実は変わらない。たとえその記憶が僕の中にしかなかったとしてもね。
我即使不在世上了可能也不會有什麼影響,什麼永恆的愛也沒有了。雖然如此,「我愛你」這件事是不會改變的,即使只有我擁有這個記憶。
前兩段歌詞如作者所言,描述這分愛意永遠不變,但後兩段與歌曲的最後幾句歌詞下的結論可能多少也掩蓋了作者原先所要表達的意涵。
繪圖
圖中的KAITO看起來好像熱昏了,還寫下了「あいす(冰)」,似乎很需要冷飲的樣子;不過也有人說KAITO寫下的不是想要的東西,而是兇手的名字(!?)……也許兩種說法都可以成立呢。:p
這張有趣的圖和這首歌曲的歌詞形成強烈對比。筆者覺得這張圖並不適合搭配這首歌曲,它雖然沖淡了歌詞中的灰暗與哀傷,不過也轉移了曲子的焦點,容易讓聽眾忽略了歌詞要表達的意涵。歌詞有不少灰暗的部份,或許作者也想藉此稍微平衡一下這樣的負面情緒吧。
(暫缺中文翻譯)
もしも僕が死んだらnm3958197
要是我死了的話
Jul. 14, 2008
(暫缺分流影片)
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もしも僕が死んだら
作曲:kotaro
作詞:kotaro
歌唱:KAITO
もしも僕(ぼく)が死んだ(しんだ)ら
君(きみ)が気づいて(きづいて)くれるのか不安(ふあん)さ
いつのまにか すれ違って(すれちがって)いた
僕(ぼく)たちのちっぽけな物語(ものがたり)も打ち切り(うちきり)かい?
君(きみ)と僕(ぼく)が出会った(であった)
そんなことが素敵(すてき)に見えて(みえて)いるのは
広い(ひろい)宇宙(うちゅう)の中(なか)で きっと僕(ぼく)だけだと
気(き)がついてしまったのさ
いくつもの愛(あい)が この世(よ)に 生まれて(うまれて)は消えて(きえて)行く(いく)
時(とき)の流れ(ながれ)の中(なか)で
いつまでも 続く(つづく)愛(あい)などないことに気づいて(きづいて)いても
もしも僕(ぼく)が死んで(しんで)も
ニュースにもならないし 市(し)の広報(こうほう)の
人口統計(じんこうとうけい)のパーセントの誤差(ごさ)くらい
その程度(ていど)の存在(そんざい)価値(かち)なのさ
きっと街(まち)の誰(だれ)もが
僕(ぼく)がいないことなど気(き)にもかけずに
いつもと同じ(おなじ)ように満員(まんいん)電車(でんしゃ)に乗り(のり)
会社(かいしゃ)へと先(さき)を急ぐ(いそぐ)
誰しも(だれしも)生命(いのち)が いつしか終わって(おわって)も
変わらず(かわらず)に時(とき)は流れる(ながれる)
気づかぬ(きづかぬ)ふりしているのか
僕(ぼく)たちは目(め)をそむけ今(いま)に溺れる(おぼれる)
(間奏)
いつか僕(ぼく)が死んで(しんで)も
君(きみ)を愛した(あいした)この思い(おもい)は永遠(えいえん)さ
たとえ宇宙(うちゅう)が明日(あした)終わって(おわって)も
僕(ぼく)だけの記憶(きおく)にしか残らなくて(のこらなくて)も
いくつもの愛(あい)が この世(よ)に生まれて(うまれて)は消えて(きえて)行く(いく)
時(とき)の流れ(ながれ)の中(なか)で
いつまでも 続く(つづく)愛(あい)などないことに気づいて(きづいて)いても
きっと誰(だれ)も 皆(みな)
この世(よ)に生きて(いきて)きたその証(あかし)求め続けて(もとめつづけて)
はかなき生命(いのち)の輝き(かがやき)を得る(える)ため
何(なに)かを追い続ける(おいつづける)
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